真鶴 地魚 寿司 カワハギ
浅草時代 昭和21年から39年
  

栄寿司は昭和21年、東京・浅草の象潟で初代大久保敏雄が創業しました。当地は終戦後、焼け野原になった所が多く、植木を買い求める人たちが多く、浅草の植木市(浅草の浅間神社の大祭---富士山にある浅間神社にゆかりのある「富士」を祭った神社の祭礼で「おふじさま」あるいは「おふじさん」と呼ばれるものに附随した市です。)と浅草ロック、キャバレー、映画館などの繁華街を目当てに大勢の人が集まりました。当時、芸者衆の手踊りの会が明治座で行われ、芸者衆やそのお客様への折りを届けるため、前の晩から大忙しだったそうです。芸者さんが集まる見番も近くにあったため、芸者衆や旦那衆、それと革製品を扱うところが近くに多くあり、そういう人たちがお客様でした。そして戦後まもなく築地市場は復興しましたが、当時の市場は種類も少なく、流通事情も良くなく、けして満足のゆく寿司ネタを調達するのは困難でした。そこで大将は、親類の真鶴の漁師から毎日、魚を送ってもらうことを思いつき、築地と真鶴の両方から仕入れを始めました。当時、浅草界隈では、評判の店となり、お客様からも満足を得られる様になりました。当時の店はわずか7坪の店でしたので、いろいろと不便でした。そして昭和31年、同じ町内に16坪の店を開き、移転しました。(写真左 初代店舗)(写真 中央 2代目店舗)(当時は冷蔵庫も木製でした。)

 

真鶴時代 昭和39年から
 

昭和30年代中期に入って高度経済成長時代となり、流通も発達し、築地市場も活気に溢れ、全国様々な所から魚が集まるようになり、仕入れは築地で間に合う事となり、一時、真鶴とは縁が遠くなりましたが、真鶴の魚へのこだわりや、憧れはいっそう強いものとなり、真鶴の魚の復活を望む常連客のススメもあり、どうせ真鶴の魚を握るなら、”いっそ真鶴に行ってしまおう”と一念発起して、昭和39年に真鶴に家族共々、移住しました。当時真鶴では(現在でも水揚げ種は多彩ですが)様々な魚がおもしろい様に定置網に乗り、季節によって旬を彩る魚が獲れました。しかしカワハギなどは当時、雑魚として二束三文の値段で取引されていましたが、肝と身の旨さを知っている大将は、いち早くスシネタとして、開発し、当時としては何処のすし屋でも置いていない、斬新なものでした。時代は変わり、今ではカワハギもスシネタとして市民権を得ていますが、昔の様に取れなくなり、値段も高騰し、高級魚になってしまいました。でも旨さは今も変わりはありません。

 

現在
 

真鶴に根付いて早40年、今では新鮮な地魚を扱う寿司屋として、県西地区ではそれなりの評判の店となり、江戸前の伝統に磨きをかけ、驕ることなく、新たな寿司の開発に大将を筆頭に精進して、今日にいたりました。 当店でお出しする魚は、当然ながら地のものにこだわり、養殖は一切使わず、天然もの、真鶴沖で揚がる季節の魚を主として、喜ばれてまいりました。これも魚市場まで歩いて数分といった地の利、そして毎日、自分で市場の魚を目利きすることが出来ると言った条件なればこそと思います。朝獲れた魚を、”その日のうちに、新鮮で活きの良いまま、お寿司に ”をモットーに、握っております。皆様も真鶴にお寄りの際は是非、旬の真鶴の魚をご賞味下さいませ。